昭和(1960年代〜80年代)の髪型:リアル世代がまとめてみた

 

今回は、他サイトで「昭和に流行った」と書かれている髪型を1960年代〜80年代(昭和40年代以降)のリアル世代が検証してみました。

結論から言うと、実際はちょっと違う」です(少なくとも日本では)。

 

1960年代の日本人男性は

マッシュルームカットではなかった

 

60年代、マッシュルームカットが流行したと書いているサイトが多いです。

 

1962年にデビューし、数々の名曲を生んだビートルズ

そのメンバーと、フォロワーバンドのメンバーがこぞってマッシュルームカットをしていました。

なので日本でも流行ったと思われるのかもしれません。

 

が、私の両親が若い頃に撮った数多くのスナップ写真を見ると、男性は一様に”○○カット”と名づけようのない、さっぱりした短髪です(角刈り・七三分けとか)。

 

↓リアル世代の方がまとめた男の髪型の記事。実際に近かったと思います。

昭和レトロな髪型がカッコいい理由とは【昭和生まれの男が画像をつかって語る】

 

60年代の日本人女性は

ツイッギーカットではなかった

 

 

ツイッギーカットが流行ったと書いているサイトも多いです。

が、ツイッギーが日本の女子に影響を与えたのは髪型ではなく、ミニスカートでした。

私の母も叔母も、若い頃のミニスカート写真があります。

ツイッギー(小枝)とはまるで違う、けっこう立派な太ももを人目にさらしていたんですよ。

「当時はみんなそうだったのよ!」らしい。

大胆さにびっくりです。

 

当時の一般女性の画像を見ると、単純に肩ぐらいまで伸ばした状態とか、名づけようのないパーマヘアなどが見られます。

おしゃれ好きの母の場合、ミニスカート時代は全体に厚みのあるボブっぽい形にしていました。

 

ツイッギーのようなベリー・ショートはかなり勇気がいりますね。

そもそも彼女の髪は、あのヴィダル・サスーンがカットしていたそう。

それを再現できるほどカット技術の高い美容師さんは、日本にはまだいない時代でした。

 

60年代半ば、ヒッピー文化の影響で

長髪にひげの男たちが増える

 

1960年〜75年まで続いたベトナム戦争では、約5万人のアメリカ兵が命を落とし、戦場となったベトナムでも多くの人が亡くなりました。

こうした情勢のもと、60年代半ばにアメリカで生まれ、世界中の若者に広がったのがヒッピー・カルチャーです。

 

女性アーティストで真っ先に思い浮かぶのがジャニス・ジョプリンです。

 

ヒッピーとは:atrscapeから抜粋

1960年代後半にアメリカのヴェトナム反戦運動や公民権運動を中心とする反体制運動から生まれた、「ラブ&ピース」を提唱し自然回帰を目指す若者の総称およびそのムーヴメント。

長髪にひげ、ジーンズやフォークロア調の衣服など、既存のものとは異なるヒッピーのスタイルは、アンチ・ファッションの代表的な例であると言える。

 

この影響は日本の若者にも及んでいました。

 

↓Yahoo!知恵袋に書き込まれた質問に対し、リアル世代の方々が答えています。

昭和40年代当時の若者(男性)は長髪の方が多かったのでしょうか? グループサウンズとかやってた人だけですか?

 

↓上記のベストアンサー

 

メンズの長髪時代はけっこう長くて、70年代半ばまで続いたようです。

 

1973年当時の細野晴臣

 

1970年に始まった東京・銀座の歩行者天国。

子どもだった私は、祖父母に連れられて何度か行きました。

この頃、道端で手作りアクセサリーなどを売っていた人たちがまさに長髪にひげ、ジーンズ、フォークロア調のファションでした。

 

↑ファッションは世の中全般にこんなのが流行っていた。

小学生だった私もこの頃、オーバーオールに厚底のデニムサンダル、さらに反戦運動の象徴とされたsmileバッジまで胸につけていましたからね(単に流行っていたのでつけていた)。

 

何も知らずに、ファッションだけアメリカのヒッピー文化に影響を受けていたことになります。仰天。

 

”アングラ”の影響を受けた

女性たちの髪も伸びた

 

カウンターカルチャーの流れから新たに生まれたのが”アンダーグラウンド”。

商業性を否定した文化・芸術運動で、反権威主義などを通じて波及。

 

日本では60年代後半、前衛芸術やアングラ演劇や暗黒舞踏という形で広がりました。

アングラの女王といえば、寺山修司に見出された浅川マキ

やはり背中まで伸びた長い髪のイメージです。

AMAZON

 

このカルチャーに影響された女性はことごとく髪を伸ばしていたイメージです。

が、アングラ(地下文化)なだけに世間で広く流行ったということではありません。

 

ファッション雑誌”anan”が1970年、"non-no”が71年に創刊されると、こうしたメディアの記事が女性のライフスタイルやファッションに影響を与えるようになっていきました。

 

70年代前半、男たちは異世界に飛んだ

 

70年代に入ると、それまでの反戦・反権威主義といった重たさは薄れてきます。

 

奇抜なメイクをしたキラキラファッションの男性アーティストたちが活躍し始めたのです。

たとえばイギリスで生まれたグラムロック

マーク・ボランやデビッド・ボウイが知られています。

 

グラム・ロックの音楽家は、男性でも、女性でも、一般的な化粧よりも濃いメイクを施したり、煌びやかなヨーロッパ貴族的(ヨーロッパの中でも主に西欧の国々)な衣装を身につけた(Wikipediaより)。

 

シンコー・ミュージック・エンタテイメント

 

アメリカでは、白塗りの化粧と奇抜な衣装でストレートなロックンロール、ハードロックを演奏するKISSが結成されました。

 

 

日本でも、彼らのファッションに影響される人たちが存在しました。

いつもは普通の男の子。

ですが、文化祭やライブハウスでステージに立つときなどに再現して出てくるわけです。いわばコスプレです。

これは見るほうも盛り上がりましたね(それなりに歌や演奏がうまい場合)。

 

J-POPの分野では1972年に西城秀樹がデビュー。

同時期にヒット曲に恵まれた野口五郎など、やや長髪の芸能人が登場(肩につくくらい)。

70年代の若者について言えば、有名人も一般人も長髪のメンズが多めだったかもしれません。

 

70年代半ば、キャンディーズがデビューし

アイドルの髪型に憧れる女子が激増

 

1973年にキャンディーズがデビューすると、日本の女子のあいだでは蘭ちゃんカットが大人気になったようです。

トップは軽め、サイドからバックにかけてレイヤーが入った髪型でした。

AMAZON

 

この頃は「レイヤー」とは言っておらず、「段カット」といって、サイドや後ろにを入れるカットスタイルが流行ったと記憶しています。

私も美容院で「段を入れてほしい」と頼んだ覚えがあるので。

 

その頃、日本男子の髪型は

やっぱり冴えないままだった

 

たまにカラオケで歌いたくなる「『いちご白書』をもう一度」(1975年リリース)。

「就職が決まって〜 髪を切ってきたとき〜」(byユーミン)という歌詞が切ないったら。

どう聞いても学生運動をやっていた男子の歌ですよね、これって。

 

しかし、しかし。

改めて”東大安田講堂事件” ”フォークゲリラ”(いずれも1969年)などのワードで当時の写真をネット検索すると、長髪の男子を見つけるのが難しいくらい少ない・・・。

 

じつは私の叔父のうち、2人が学生運動をガチでやっていたのですが、どこからどう見てもノンポリにしか見えない外見でした。

長髪・ひげの姿は一度も見たことがありません。

(理由を考えれば当然です。ひと目でわかる姿をしていたら警察から目を付けられるので)

 

つまり、長髪・ひげはガチで運動していた学生ではなく、反戦フォークを歌っていた人や美大の学生など、ゲバ棒を持たない若者に多かったのではないかと考えられます。

 

メンズのあいだでいきなり起こった!

パンチパーマ旋風

 

で、この時期に理容界で大ブレイクしたのがパンチパーマなのでした。

きっかけは「失恋レストラン」(1976年)でデビューした清水健太郎とされています。

 

SNOW RECORDS

 

私の身近では見たことがありませんでした。

パーマをかけるにはお金がかかるので、若者より大人のあいだで流行ったように思います。

たとえば芸能人、プロボクサー、タクシー運転手、飲食店や小売店の経営者といった人たちのなかでかなり流行ったように思います。

 

ちなみに、リーゼントについては戦後から現在に至るまで、形を変えながらブームを繰り返しています。

下記サイトに詳しくまとめられていますよ。

【リーゼントの歴史】〜何故、紳士のヘアスタイルから、不良の髪型へ変化していったのか〜

 

ロンドンで生まれた

パンクファッションが浸透

 

さて同時代(70年代半ば)、ヴィヴィアン・ウエストウッドとマルコム・マクラーレンがブティックやパンク・ロック・バンドをプロデュースし、SMの要素を取り入れたパンクスタイルを流行させました。

ロンドンからやがて海外へも波及し、性別を問わずこのファッションが若者に人気となりました。

 

パンクロッカーが好んだ髪型は、モヒカンとスキンヘッド

 

写真のシド・ヴィシャスのような逆立てヘアも多かった。

このムーブメントが本格的に日本にやってくるのは、もう少し後のことでした(The STAR CLUBが登場した70年代後半頃)。

 

その頃、日本女性のあいだでは

サーファーカットが大流行

 

いっぽう70年代半ばのアメリカでは、TVドラマ「チャーリーズ・エンジェル」が大ヒット!

これがきっかけで人気に火がついた女優、ファラ・フォーセットの髪型に注目が集まりました。

 

彼女を真似した大胆なレイヤーカットが流行。

日本においてはそれがサーファーカットとして広がっていきます。

ブームのきっかけを作ったのは”Fine”というサーファー雑誌だったように思います。

 

一般のサーファーたちを取り上げつつ、”サーファー・ファッション”などを紹介する雑誌で、ここに出てくる女性はことごとくサーファーカットをしています。

写真を見てもわかる通り、ロングのレイヤーカットは海風に髪がなびくスタイルなので、サーファー女性のあいだで大人気になったわけです。

で、このブームがサーフィンに縁のない女性にまで広がっていったのです。

 

いっぽう、これに前後して”JJ”や"CanCam”というファッション雑誌が部数を伸ばし始め、ニュートラ、ハマトラと呼ばれるファッションがブームに。

ヘアスタイルは肩下長さの落ち着いた感じが好まれたようですが、雑誌の画像を見るとファラ・フォーセットのような髪型も多く、レイヤーカットは幅広い女性に浸透していたようです。

 

70年代後半以降、

ついに日本男子の髪型が

多様化し始めた!

 

世界の音楽界で「ロックは死んだ」と叫ばれるようになった頃、ニュー・ウェイブと呼ばれるジャンルの音楽が生まれました。

日本では79年にYMOが「テクノポリス」をリリース。

 

はっぴいえんど時代は超ロン毛だった細野晴臣が!!と衝撃を受けた御仁も多かったことでしょう(上の1973年画像を参照)。

彼らから影響を受けて、サイドや襟足を刈り上げるテクノカットなど、メンズの髪型が多様化し始めたと思います。

 

そしてやっと日本でもモヒカン、スキンヘッドといったパンクスタイルで街を歩く若者の姿が見られるようになります。

ウソだとお思いでしょうが、本当にいろいろな髪色(金髪、ピンク、グリーンなど)のモヒカンで歩く男子がいたんです。

 

80年代前半になると、メタルファッションで歩く男子も出現。

ここで再び、長髪・ひげの復権が見られました。

1981年にアメリカ西海岸で結成したメタリカの皆さん

 

パンクとメタルは後に、よりストリート性の強いグランジと呼ばれる音楽とファッションにつながっていったと思います。

 

いっぽう、J−POPの分野では83年にチェッカーズがデビュー。

おもに10代の子たちの間で前髪をツンツンさせたり、襟足だけ髪を伸ばしたりするチェッカーズカットが流行しました。

 

日本女子の憧れは、アイドルの愛くるしい髪型

 

欧米が汗臭くなる一方だった時代、日出づる島国では次々に玉のようなアイドルが誕生。

なかでも70年代後半、お姫様カットで登場した麻丘めぐみのかわいらしさは眩しすぎた。

今でも忘れることができません。

 

AMAZON

 

ストレートの黒髪はジャパン・ビューティが最も強く打ち出されるからでしょう。

ちなみに「お姫様カット」とは、耳の下あたりでサイドの髪をぱっつり切ったスタイル。

センターパートのストレートは平安貴族の女性を思わせる高貴な髪型でもありますね。

 

80年代前半、「石を投げれば

聖子ちゃんカットに当たる時代」が到来

 

聖子ちゃんカットの由来は、言わずと知れた松田聖子

クラスでもたくさんの女子が真似していました(もちろん私も)。

 

松田聖子オフィシャルサイト

 

トップからサイドへ外向き(外巻き)にブラシを動かし、毛先を後ろに流して動きを出すのが最大の特徴。

まずは美容院で「聖子ちゃんカット」をオーダー。

家に帰ればこの形を必死で再現しようとしました。

ブラシとドライヤーが一体化したヘアドライヤー(「カールドライヤー」「くるくるドライヤー」)が人気商品になりました。

 

80年代半ば、「脱・聖子」の時代がやってきた

 

小泉今日子もデビュー当時は聖子ちゃんとそっくりな髪型でした。

が、83年に思い切ったショートカットに。

 

小泉今日子オフィシャルサイト

 

そのルックスが気絶しそうなほどかわいかったのと、自らお人形的アイドルを脱却した、その行いが女子たちの大いなる支持を集めたのでした。

 

その後、中森明菜は「DESIRE -情熱」でワンレンボブのウィッグ姿を披露するなど、アイドルが積極的に自己表現をしようとした時代でした。

 

無造作ヘアの流行を繰り返しながらも

美的・かわいい髪型は普遍

 

ここまでが昭和の髪型のまとめとなります(1988年まで)。

80年代後半〜90年代前半は、ソバージュヘアなどが流行りました。

寝起きっぽい無造作感が魅力。

今井美樹や長谷川京子など、ファッションモデルが好む髪型というイメージ(個人の感想です)。

 

平成以降、理美容技術も進化。

さまざまな髪型がファッショントレンドとともに時代を彩ってきました。

トレンドの多様化も進み、カット、パーマ、カラー、スタイリング、アレンジを複雑に組み合わせていくようになります。

またいつか機会があればまとめます(さすがに疲労)。

 

日本人に好まれる髪型を総じて振り返ってみると、ワンレングス、巻き髪、盛りヘアなど、黒髪の美しさが際立つ髪型であったり、女性らしさが漂う髪型のほうが好まれる傾向があり、それは昔も今も変わらないように思われます。

 

個人的には、髪色を本来の黒っぽい色に戻す女子が増えてきたのがうれしいです(^^)

 

@over50_wig
ライター/エディター
編集プロダクション勤務を経てフリーライターとして独立。大手新聞社の月刊誌などで医療・健康分野を中心に取材活動を続けた後、現在は文化系法人専属の編集者。近年は20〜30代のクリエイター取材にも取り組んでいます。

生まれつき強いくせ毛。年齢とともに髪が細く広がるようになり、雨と風の日はファッションウィッグを使用。介護施設で美容ボランティア(洗髪後のドライヤー係)、ウィッグサロンで販売と相談業務の経験あり。