最近よく考えるのは、どんな感じで年をとっていけばいいのか、ということです。
思えば30代くらいの頃から一定の周期でこのテーマと向き合ってきた気がします。
負け犬だなんていわないで。
その端緒となったのが酒井順子さんの『負け犬の遠吠え』という本でした。
30歳以上、未婚、子なしの3条件に当てはまる女性を自虐的に「負け犬」と称して、その生き方や考え方を綴ったエッセイ。
もともと酒井さんのエッセイは好きでしたし、当時、何もかもがドンピシャだった私は自分事としてこの本を読みました。
いまの50代の方なら、30代の頃に読んで揺さぶられた経験をお持ちの方も多いかと思います。
孤独な老後を想像したくない。
その後、上野千鶴子さんが『おひとりさまの老後』という本を書かれ、これも大論争を巻き起こしました。
こちらは、上野さんのように社会的地位が高く、高収入でパートナーもいるような女性に限定された内容になっているというレビューを目にし、私は読んでいません。ごめんなさい。
この頃、「勝ち組」「負け組」のようなワードがマスコミやネットで盛んに使われるようになり、山田昌弘氏の『希望格差社会』という本もベストセラーとなりました。
希望に格差がある社会とは何だろうか。興味を持って読みました。
生きていくうえで、自分の将来に希望が持てるか、持てないか。
これはメンタルヘルスにも直結しているので、軽く見てはならないテーマです。
読んだところで明確な答えは得られないのですが…。
やっぱりお金? 子や孫ですか? それとも地域コミュニティ?
人それぞれに見出さなくてはならないでしょうね。
社会のお荷物、迷惑でしかない"老害"
40代はいろいろなことで忙しく過ごしてしまい、あっという間に50代。
気がつけば四捨五入で還暦という55歳を迎え、再びこのテーマに向き合うようになりました。
いまの50代以上にとって恐ろしいのは「老害」というワードです。
身体機能が衰えてきているのに、頼りにすべき若者を怒鳴りつけたり、傍若無人な振る舞いをしたり。
そこまでいかなくても威圧的な態度をとったり、上から目線で一方的にものを言ったり…。
決して他人事ではないと思っているので、気をつけるようにしています。
高齢社会になる前は、オバサンの存在が迷惑がられていました。
なぜか中年になると図々しくなる女性の姿を描いた、堀田かつひこ氏の『オバタリアン』という漫画で広く認知されました。
実るほど首(こうべ)を垂れる稲穂かな
という教えがありますが、なかなかこうならないのが人間なのでしょうね。
老いても枯れてはいけない。
いま読んでいる本でひじょうに興味深いのは、森村誠一氏の『老いる意味 うつ、勇気、夢』というものです。
あの『人間の証明』をきっかけに、氏の作品はいくつも読んでいましたが、すでに御年89歳になられていたんですね。
上記の本は80代になってから老人性うつ病を発症し、3年にわたり苦しんだのち、回復し、執筆を再開するまでの過程や心がけなどが書かれています。
この中で特に印象的なのが、「老いても枯れてはいけない。いくつになっても欲望を失わないことが大切だ」という氏の価値観です。
現役で執筆をなさっている作家らしく、死ぬまで書き続けたい、死後も語り継がれるような功績を残したいと考えておられることが伝わってきました。
このことを家人(すでに還暦)に話したら、深くうなずきながら、自分にも"承認欲求"があるというのです。
SNSでいいねを押されることではなく、趣味で続けているギターを人前で演奏し、「すごい」と言われたいのだそうです。
私はもともと裏方志向で、出世欲や名誉欲といったものは薄いです。
むしろ欲にまみれた人などはとても苦手です。
では、こんな私はどんどん枯れていく一方なのだろうか?と寂しくなりました。
"いつまでも失いたくないもの"は何ですか?(「若さ」を除く)
そこで、欲望というフレーズを探究心、好奇心に置き換えてみると、しっくりくることがわかりました。
これなら私はいくつになっても失わずにいられる自信があります(いまのところ)。
価値観は人それぞれです。
欲望、好奇心、品格、おしゃれ心・・・
自分がいつまでも失いたくないものは何か? を意識しておくとよさそうです。
他にも養老孟司氏、春日武彦氏、漫画家の槇村さとる氏のエッセイなど、「老い」をテーマにした本をいくつも読みました。
自分の年齢や置かれている状況によって刺さる本が違ってくるので、この一冊!と絞れるものではありません。乱読おすすめです。
世界初の超高齢社会。
幸せな老後のお手本はない。
いずれにしろ、ここまで極端な少子高齢社会を迎えているのは世界でも日本が初めてだと言いますから、どんな姿勢で老いていくのが幸せかというお手本はどこにもありません。
突き詰めれば「今日をよく生きる」ということしかないのですが、これからを生きる世代が少しでも希望を持てるよう、少なくとも非老害の大人でありたいと思います。
デジタルデバイドの問題
最近、仕事の場では20代、30代の人たちの割合が多く、「Vチューバー…ってわかりますか?」なんて言われたりします。
昨日は「Amazonで買い物しますか?」と聞かれました。苦笑
参考までに
1960年代女のIT半生:
幼少時は家庭用ブロック崩し(TVゲーム)やゲームウォッチに触れて育つ。
ゲーム喫茶にてスペース・インベーダー、家庭においてはファミコンに代表される各種ゲーム機器とソフトに青春を捧げたのち、1980年代に爆誕したPC98、初代MacによってITの洗礼を受ける。
WWW(インターネット網)が地球規模で普及し、アナログ回線によって初めて世界とつながった元祖IT世代である。
それがいまや、であります。
コロナ自粛を機にイラストアプリで絵を描こうとしたら、まずレイヤーを理解するのに時間がかかり、膨大な種類の中からペンを選ぶのに時間がかかり…。
面倒すぎて中断。
家人は私より年上ということもあり、携帯電話からスマホに切り変えたのがほんの数年前。キャッシュレス決済はいまだ拒否しています。
が、イベントを楽しむにしても電子チケットが増えている昨今です。
今後、インフラ関係ではアナログという選択肢そのものがなくなっていくことを思うと、あまり頑固なのも考えもので、適当なタイミングで導入し、使い慣れていくことが大事かなあと思います。
いっぽう、趣味の世界はデジタルでもアナログでも好きな方を選ぶことができます。
私は洋裁の通信講座にドハマりしており、細かい作業が全く苦になりません。
糸や布を触ると固さや厚さ、質感の違いがよくわかって面白く、コロナ禍ではあらゆる手作業が、私のメンタルの安定につながっています。
コロナ禍は誰もがみんな不安でどんよりしている。
とりあえず今日、いまこの瞬間できることに集中してみる。
ここまで書いてみると、自分がいかにメンタルの安定を意識しているかが実感されます。
というのも、忙しく働いていた独身時代、パニック障害を経験しているためです
(この時は病院へ行かず、『不安の克服』という翻訳本を読んで克服できました)。
肉体と同じように、心も健康維持を心がければ病気にかかりにくくなると考えています。
ものごとは考え方ひとつです。
不安は自分の心(脳)がつくり出すものです。
認知の歪み(たとえば物事の捉え方がフラットではなく、ネガティブに寄っているなど)があれば、そのクセを直すことで心の元気を維持できます。
年をとるごとに仕事が減ったり(あるいは減ることに対する不安が増したり)、病気になったり、身体的にできないことが増えたり、親しい人が亡くなったり・・・
不安や悲しみを抱えることが増えてくるので、それをうまくやり過ごすための知恵こそが必要になるのだろうと思っています。
□自分に合うストレス解消法を見つけておく
(軽い運動をするとよく眠れる)
□複数のコミュニティに参加し、人とのつながりを増やす
(苦しいときは、似たような状況の人と話すとよい)
□物事をあるがままに受け止め、よけいなことは考えない。
(明日はどうなるかなどの想像を巡らせない。今できることに集中する)
渡辺裕之さんに続いて上島竜兵さんの訃報を聞き、今朝もまた言葉を失いました。
ご冥福をお祈りするばかりです。
日本で心のケアがもっともっと日常的なものになるよう願います。
病気になる手前で自覚できれば、やれることがたくさんあると思います。
残されたご家族の心のケアが適切に行われるよう願います。
管理者プロフィール
@over50_wig
ライター/エディター
編集プロダクション勤務を経てフリーライターとして独立。大手新聞社の月刊誌などで医療・健康分野を中心に取材活動を続けた後、現在は文化系法人専属の編集者。また、さまざまな実用書のディレクションにも携わっています。