大切な人とのお別れ:ロスと向き合う日々

 

コロナ自粛生活のあいだに、昔の友人(5歳下の女性)が亡くなったことを知りました。

プライバシーに関わるので詳細は省きますが、幸せな家庭を築いて元気に暮らしているはずの人でした。

 

知り合ったのは20歳そこそこの頃。一人っ子という共通点があって生き方のような深い話もした仲です。

彼女が家庭を持って引っ越していった後はほとんど会うことができませんでしたが、たまにメールをくれたりして、お互いにずっと忘れたことはなかったと思います。

 

コロナが落ち着いたら何年かぶりで会いたいと思っていたので、たいへんなショックを受けて、自分の体の一部を失ったような感覚に陥りました。

亡くなるまでの経緯を知った翌日は、何も考えられなくなり、激しい胃痛と下痢が続いて、病院へ行こうか迷ったほどです。

 

病気とは違う亡くなり方の場合、家族や友人はとても複雑な感情に悩まされます。

心の準備をする間もなく、何の予兆もないまま、二度と会えないという現実を突きつけられるショック。

もっと早く会って話をしていたら、違ったかもしれないという後悔。

他人が関わる事故などの場合は、事故を起こした相手を責める気持ち、怒りの感情などが押し寄せます。

 

20年ほど前、仕事仲間が目の前にいた人を助けようとして事故で亡くなるという経験をしたことがあります。

それとは知らずにニュースで事故直後の現場の映像を見てしまっていたので、フラッシュバックのような症状が続くようになりました。

しかし当時はまだグリーフケアやグリーフワークという言葉を知らず、1人で抱え込んで眠れなくなり、昼夜が完全に逆転するところまでいきました。

 

病気で亡くなる場合は、心の準備をする間が少なからずあったり、突然に訃報を知らされたとしても病気ならしかたがないことだとあきらめるしかなかったりします。

が、そうでない場合は上に書いたように、さまざまな感情が押し寄せます。

「それが運命だった」などと思おうとしても、なかなかそうはいきません。

そうした複雑な思いを、身近な人に聞いてもらうことは難しいものです。

 

そこで今回はネットで調べて、グリーフケア専門団体のサポートを受けました。

ボランティアの方がメールを読んで返信してくれるというもので、こうしろああしろと意見されることはありません。

自分の気持ちや状態を理解してもらえるという安心感があり、書いて送るだけでもだいぶ楽になり、ほんとうにありがたたく思います。

 

その他は病気で誰かが亡くなった場合のロス対応と同じことを意識しました。

(1)まずは感情を抑えずに泣く。

(2)話せる人には話す(ご遺族、自分の家族、同じような経験を持つ友人など)。

(3)掃除・洗濯・仕事など、日々の生活を淡々と送る。

(4)気分転換をする。

 

今回、特に効果が大きかったのは(4)でした。

なかでも良かったのは露天風呂のある宿に1泊したこと。

コロナ自粛の反動も手伝って、秋の冷たい風に吹かれながらお湯につかっているうちに、何もかもがすっきりと消えてなくなるような感覚に包まれました。

(悲しみや寂しさが完全に消え去ることはないのですが)

どう生きようと、どんな死に方をしようと、結局は誰もが土に還る。

それはある日、突然かもしれない。

または、何年もかけて少しずつかも。

 

どちらにしても、一期一会の意識をもっと強く持って、人とのつながりを大事にしていこうと思います。

 

いま孤独感を抱えている方へ

 

私と彼女の共通点でもある一人っ子には、誰かと一緒に何かをやるより、一人でやったり自己完結したりするタイプが多いかもしれません。

いまは人とのつながりが希薄なので、一人っ子だけではないかもしれません。

 

自分の生い立ちや自分が置かれている状況なんか、人にわかってもらえるわけがない。

誰かに相談したところで傷つくだけ。

何を言われようと、どうするか決めるのは自分だし。

 

などと決めつけてしまう人がいるかもしれません。

確かに答えを出すのは自分だけれど、誰かに話してみたら、視点が変わるかもしれません。

えっ、そんな捉え方もあるのか・・・と気づきが得られるかもしれません。

みんながそれぞれに不安や孤独を抱えている時代です。

話したら、自分だけじゃないんだとわかるかも。

似たような人と出会って、悩みを分かち合えるかも。

いま孤独感を抱えて苦しい方は、専門機関でも信頼できる知人でもいいので、まずは誰かに話してみてはどうでしょう。